確かめるべき事(完)春原啓一
二年目の浪人が決まった春、僕はひとつの決心をした。決心とは決して破られることのない自分との約束だ。来年は必ず医学部に合格して、そして医者になる。そう決めた日から、僕は、取り戻した健康の喜びや友情、ナオミがかいま見せてくれた光の世界の入り口に全て封印した。毎日同じスラックスをはいて、毎日7時45分発の西船橋行各駅停車の同じ車両同じ席に陣取って英単語を暗記した。予備校の授業のあとは図書館にこもった。誰とも言葉を交わさず、笑うことも忘れた。心を全く動かないようにして、ただひたすら試験問題を解く機械になった。 そうして一年後、僕は大学に入学した。でも、僕はやわらかな心を失った。それでも、とにかく前進しかないと思いながら、ついに僕は心が不自由のまま大人になった。 医師になって、僕が選んだのは救急救命・重症者管理を専門とする麻酔科の仕事だった。今から20年前、救急の現場は全くお粗末だった。助かると思われる命がみすみす失われていた。絶対救命を信条とする麻酔科の仕事には純粋に共感できた。突然の事故や急病。緊急手術や術後の急変など一刻を争うような場面でも、冷静に対処できるように厳しい訓練を受けた。この現場では、心は動かない方が都合がよかった。求められるのは早さと正確さだ。 ちょうど精密な臓器補助の機器や有効な新薬が急速に進歩した時代だった。数年前なら救命が難しかった症例も救命することが出来るようになっていた。しかしどんなに力を注いでも助けられない例もあった。救命を目標に最新技術を導入して何日も努力しても容態が改善しない時、これらの治療をいつまで続けるのかということが課題になる事もあった。人工心肺で血液や酸素を送っていれば、指を吸う乳児。血液を浄化するとしばらくは意識が戻る重症肝炎の主婦。しかし患者自身の臓器機能が回復しなければ、いつまでも続けられる治療ではなかった。治療の中止は直接その死に関わる選択だった。僕の心は動揺した。人工臓器の進歩は、死を、免れることのできない事実として僕に突きつけた。死とは何か。死は医療の敗北か。救命は価値ある仕事であると確信していたが、死はより確実ないのちに対する答えのように思われた。 死を見つめてみよう。僕はそう考えて不治の病いの人のケアに携わる様になった。そこで、400人もの方の臨終に立ち会った。死が避けられない我々の真実だと教えられた。生きていることも死から照らされて初めて価値を持つのだ。そして同時に、死によっても途絶えることのない、いのちの存在を信ずるようになった。僕の心は少しずつ開かれていった。 今、社会では健康や老化防止が重要視されている。その一方で病いや老い、そして死は避けられるべきもの、という風潮がある。医療は社会に開かれ、人々のニードに敏感に応えようとするようになったが、社会のニードには際限がない。結果、平和を戦争で勝ち得ようとするように、健康や美を薬やお金で求めるようになり、医療はその一翼を担うこととなった。医学の進歩は、永遠の生命を可能にするような夢さえ抱かせている。医療は社会のために働いているかもしれないが、もはやいのちのために働いてはいない。 なぜなら社会も医療も閉ざされているからだ。ナオミのいう光の世界から閉ざされている。暗闇の中にいるから、その場の便利や楽だけが大事となって、それだけのために奔走している。昔の人は何でも「お天とう様に聴いて」とか、「お天とう様に恥ずかしくないように」などといったものだ。きっと、いつも光を感じていたのだと思う。社会や医療の中にいのちについての答えはない。今話題になっている、延命、尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植等々のいのちに関する議論には人間の傲慢と欲望が感じられる。いのちのことは、本来、「お天とう様」に照らしたら自ずと答えが見いだされるはずだ。人間はその答えにただ身を委ねるだけである。 今、ナオミの言っていたことがやっと分かるようになった。全部ナオミの言っていたとおりだ。「暗闇の中で探し物をするのをやめて、光に照らされながら私たちと一緒に人間の本当の幸せのために働きましょう」というナオミの声が聞こえる。 医者になって20余年。僕のこころはやっと開かれ、母の愛を思い出し、友情を思い出し、たくさんの死に遭遇し、そしてナオミの教えを思いだした。 今、僕はゆっくりと光の世界に向かって歩き出そうとしている。 |
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